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ABOUT

Chapel Hill-Durham日本人会は、この地域に新たに在住される日本人のための組織であり、

生活セットアップのための情報提供、会員間での情報交換及び親睦、

帰国予定者を含む会員間の物品売買に関する情報提供などを主な目的としています。

今後の日本人会運営のための寄付を引き続き募っています。 少額でも構いませんのでよろしくお願いします。

MEMBER

【会員の所属先】

UNC/NIEHS/Duke/NC state/RTPに進出する企業の関係者 

【主な会員の構成】

研究者/学生/日本人駐在員/永住者/ならびにその家族

【会員数】

2017年2月現在:235家族

【入会資格】

・既にトライアングル近郊に在住の方または近い将来に移住、滞在予定の方。
・日本人会の趣旨に賛同される方。
・日本文化に興味があり日本人と交流を持ちたい方であれば国籍を問わず入会して頂けます。
・詳細は会則をご覧ください。

【会員の主な居住地】

Chapel Hill、Durham、Carrboro、RaleighなどResearch Triangle Area

【活動内容】

・RTP地域に新たに在住される日本人の生活セットアップのための情報提供
・会員間での情報交換及び親睦
・帰国予定者を含む会員間の物品売買に関する情報提供

これらを主な目的に会員の親睦・交流を進めております

HISTORY

創生期編(1951年1月-1974年12月、アルバム第1-4巻)

チャペルヒル・ダーラム日本人会(以下日本人会)の創生期を知る手がかりは、1956年春から歴代会員によって書き継がれているアルバム「チャペルヒル在住一言集」(以下「一言集」)に残された僅かな資料のみである。日本人会は1950年代初頭に、当時チャペルヒルに在住していた日本人によって自然発生的に誕生したようだ。「一言集」第一巻1ページにはTakamura S, Miyamoto F, Koizumi S氏の3氏が1951年から52年(昭和26年から昭和27年)にかけ、チャペルヒルに在住されたことが記されている。当時はまだ会の名前ははっきり決まっていなかったようで、「日本人会」の言葉が初めて登場するのは1962年9月21日(昭和37年)に記された当時の会員17名の寄せ書きに至る。同年の新年会寄せ書きには「日本人会」とは書かれておらず、おそらく1962年9月頃に「日本人会」が、正式に日本人会と称するようになったものと推測される。

その後日本人会は、ゆっくりと歩みを進めた。「一言集」に初めて英語名が登場するのは、1965年4月で当時の英名は「Japanese Association in Chapel Hill」(現在はChapel Hill-Durham Japanese Association)であった。現存する名簿は1965年9月-1966年7月版で、20家族37名の名前が記されている。
1963 年(昭和38年)、当時2年間チャペルヒルに滞在されたAkagi氏が「一言集」に「最も安く荷物を日本迄送る方法」との記述を残されている。また、 1966年4月に「一言集」第二巻に6ページに亘り、帰国情報や当地で誕生した子供の日本国籍取得情報などが記載されている。これらが、現在日本人会が生活セットアップのため会員に配布している「生活案内」冊子の原型となった。現在は移住直後の生活セットアップに興味が持たれているのと異なり、当時は帰国時の手続き情報を如何に得るかに関心が強かったようである。
現在の「日本人会」では、毎年2回、5月頃と10月頃に、会員が一同に会するピクニックが恒例となっているが、そのルーツとなる第一回ピクニックは1966年5月8日(昭和41年)にUmstead Parkで挙行されていた。

「一言集」には1966年4月16日に東京の山王ホテルで「日本人会」元会員による同窓会の模様が残されている

発展期

前期(1975年1月-1984年8月、アルバム第4-8巻)

日本が高度成長期に入った1970年代になるとアメリカに留学できる日本人が急増したことで、1975年頃を境に日本人会活動も急速に活発化した。また当時「黒人との交流が可能となる」との記載に象徴される、アメリカ社会の人種意識や第二次大戦の後遺症も薄れてきていたことも背景にうかがえる。

しかしこの頃のアルバム(かつての「一言集」)は、殆ど写真が無く、当地の想い出を文章、詩で表現したものであった。そしてお世話になった日本人及び「日本人会」に対する感謝の記述が多い。中には当地を離れる直前の空港で、慌ただしく記載されたものも少なくない。

1977-78 年以降になると、アルバムの記載事項に少しずつ変化が現れ、それまでは余り見かけなかった旅行の記録が散見されてくる。当時アメリカは、既に完全週休2日であったらしく、当時の日本人も上手に休暇を利用していたようである。当時の日本人会では定例の行事として、忘年会、新年会、ピクニックが催され、マクドナルドハンバーガー(1979年当時43セント)や、ハーディズホットドッグ(55セント)を片手に親交を深めていた。現在の「チャペルヒル・ダーラム生活案内」は、1982年8月にHiguchi E, Aoki R, Uesugi S, Hara Mの4女史によって初版が刊行された。

後期(1984年9月-1995年8月、第8-12巻)

1984年9月以降、日本人会会員の意識は家族に向けられてきた様子がうかがえる。1984年9月以降に残されたアルバムによると、家族写真、風景写真、旅行写真と実に華やかな写真が登場する。また、家族の記録、特に子供の成長記録が事細かに記載されている。

​転換期

1995年を境に、アルバムの記載量に激変が見られるようになった。それまでの約20年間は2年で1冊のアルバムが終了しているのであるが、1995年以降これまでの7年弱で2冊にも満たなくなった。2000年10月以降2002年2月(2002年3月に記載者あり)まで、個人のアルバム記載は皆無であった。

インターネットの登場で日本人会組織も変革期に入った。少なくとも1970年代初頭から続いていた「村長」制度は、1999年の「会長」の記載を最後に廃止された。また2000年3月に帰国されたWatanabe Y氏の記録から、1998年から2000年3月までの間に、長年続いた「Chapel Hill日本人会」の名称は「Chapel Hill-Durham日本人会」へ変更された。その「Chapel Hill-Durham日本人会」の名称も、2002年1月に「チャペルヒル・ダーラム日本人会」(英語名:Chapel Hill-Durham Japanese Association)に改称されて、現在に至っている。そして2001年12月3日に「チャペルヒル・ダーラム日本人会」ホームページが立ち上げられた。

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